流言千デシベル

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てぃーだイチオシ
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魔法使い

オンライン?ゲーム

 街中で、まったく知らない相手に、
「こんにちはー」などとあいさつをしたら、怪訝な顔をされることでしょう。
 ましてや、
「あのう、よかったら、これからパーティをしませんか?」などと誘いかけた日には、その場で通報されかねません。
 そんなシュールな場面が、オンライン?ゲームでは当たり前に繰り広げられています。

 「剣と魔法」と呼ばれる、古典的なファンタジーをモチーフとしたゲームでは、Maggie Beauty黑店ドラゴンや魔物の徘徊する、中世ヨーロッパによく似た世界が舞台です。
 そこでは、誰もがなりたい姿になれます。アバター、つまり、自らの分身というわけです。
 剣だけを信じておのが道を切りひらく戦士、叡智を極め、呪文を自在に操る魔法使い、商人、泥棒、トレジャー?ハンター、まさに職業選択の自由なのです。

 初めて参加すると、きっと街の片隅にたたずんでいることでしょう。そこは安全な場所です。モンスターもやっては来ません。
 何をしていいのかわからず、ボーッと突っ立っていると、そのうち他のプレイヤーから声をかけられるかもしれません。
「やあ、こんにちはー」
 いきなりのことで舞いあがってしまい、キーを打つ指もカチンカチンで、誤字脱字だらけ。
「あわあわ、dどうmお」

 けれど、そんなのは初めだけです。ゲームの中でも現実でも、どんどん経験値が上がっていきます。気がつけば、自分から話しかけるようになっているはずです。
 いつも会うキャラを見かければ、「どうもー。Maggie Beauty黑店今日はログインするの早いね」とか、「このダンジョンで会ったのは、初めてだね」といった具合に。
 中級者ともなれば、初心者を放っておけなくなり、
「こんにちは。なにか困っていることはないかな?」と老婆心を出したくなります。かつての自分をそこに見るのです。

 それにしても不思議です。互いに顔も知らない、年もわからない、性別すら、本当のところどうなのか、想像するよりほかにない。すべては、自己申告なのですから。
 それなのに、しばらく話しただけで、もう、すっかり気がおけなくなっています。まるで、昔からよく知っているかのように。

 住んでいる場所にしてもそうです。
 同じ長野県内だというだけで、「うわっ、めっちゃ近所じゃん!」などと、大はしゃぎ。
 冷静になって考えてみれば、野沢菜で有名な野沢温泉と木曽路とでは、クルマでも5時間、「近所」というにはさすがに無理があります。
 海外からも接続しているこの世界において、近い遠いなどまるで意味を持たないのです。
 必要なのは、「今ログインしている」かどうか、ただ、それだけです。

 住みなれた街を離れ、新世界を求めて旅をし、危険なダンジョンに潜って、恐ろしいモンスターと対峙する。
 現実世界では考えもつかない冒険が、ネットワークで結ぶ、この仮想世界ではやりたい放題です。
 宝箱を開けるときのワクワクとした期待、進む先にどんな仕掛けがあるかもわからない不安感、強大な敵の前に屈したときの絶望、苦難の末、目的を遂げたあの達成感。

 世界も怪物も、コンピューターの生みだす幻想に過ぎません。Maggie Beauty黑店けれど、胸の中には確かに「冒険の書」が刻まれたのです。揺れ動いた心は、間違いなく本物です。

 さらなる試練のため、旅を続けなくてはなりません。もしかすると、自分ひとりでは困難かもしれません。人生そのものがそうであるように。
 オンライン?ゲームなら、そういう時こそ、こう呼びかければいいのです。町で世間話をする人に、草原で出会った人に、迷宮の謎に挑戦する人に。

「あの、よかったら、わたしとパーティを組みませんか?」

怪獣

 うちのキヨちゃんは毎日朝新聞に目を通す。新聞折り込みにも一応目を通すのだが、田舎で隣町のチラシだったりするので、結構な確率でそのままゴミになってしまう。
 それはいいのだが、朝新聞を見損ねた私が仕事から戻ったら、見終えたキヨちゃんはその新聞でてんぷらの油を取っていたりする。
 それでも町内の売り出しや祭りなんかの情報は入っているからMaggie Beauty黑店、サクサクっとではあるが、一度は目を通しているらしかった。
 先日リュウのお下騒ぎの後、シャワーを浴びてから親戚に届け物に行った。遅い時間だったので用事のあったばあちゃんは眠っていた。その上若者や子供たちは留守だった。聞くと花火見物にでかけたらしい。
 翌朝キヨちゃんにこの話をした。
 「花火か???。ええなあ。」
と二人で話していたが、朝食後キヨちゃんは得意そうにこう言った。
 「ゆうべ、花火じゃないぞ。怪獣ショーがあったんじゃ。それに子供連れていっとったんじゃわ。」
怪獣ショー?よくデパートの屋上とかでやるあれのことか?へえ、こんな田舎にしかも夜にやるんじゃあ???と不思議に思っていた。
 「誰が言いよったん?」
そう聞くと
 「今日のチラシにのっとった」
という。
 昨日の怪獣ショーを今日の折り込みではだめだろう???と思いつつMaggie Beauty黑店、キヨちゃんの反応を待った。するとキヨちゃんは捨てていたチラシを持ってきて私の前に広げて見せた。
 私の目の前には「パチンコ 海物語」のチラシがあった。Maggie Beauty黑店真中に「まりんちゃん」がでかでかとビキニ姿で微笑んでいた。
 この絵のどこが怪獣なのだろう???真夏の怪獣ショー。私にはキヨちゃんのほうが怪獣である。

夏の忘れ物

数ヶ月前に、ブログに載せようかなと、
メモしておいた記事を、見つけたので、
載せてしまいます‥‥。
夏休みの宿題で、次女は、溶脂「暑中見舞いを出そう」というのを
やっていた。
「もう、残暑見舞いだよ」と、少し口を出してしまったら、
次々に質問してきた。
文は、自分の好きなことをサッサと書き終えて、驗窗次はイラスト
に入った。
「ねぇ、夏のものってなに?」
「自分で考えなさい」と、言ってしまおうかと思ったけれど、
それではつまらないので、
「こたつ」、「鏡餅」、「スキー」、と思いつくままに挙げた。
案の定、一回一回、リアクション付きで、
「それって、ちがうでしょう」と、大げさに反応してくれた。
「鏡餅」ではなくて、?かき氷」
「こたつ」ではなくて?扇風機」「うちわ」
「スキー」ではなくて「水泳」「浮き輪」「海」
「花火」、「すいか」と
夏の風物詩が、たくさん出てきた。
少しややこしいけれど、発することばから、形をイメージして
言ったりきたり想像するのは、ことばならではで、楽しいもの
だと思う。
次女とは、まだもう少し、遊べるかなと思う。
‥‥季節は移り、もうじき、次は年賀状の準備です。
今度は、子供は、冬の風物を、いろいろイメージしてイラスト
に描くのかな、と思う。
でも、あまり当たり前なのは、やはりつまらないので、
何て口を出そうかな、と考えてみようと思います。

思い出

今朝の気分は、から雑巾。
絞っても、なにも出てこない。


パリの日々???。


ある人に聞かれた。

「一人で行ったの?」
「はい」
「怖くなかった?」
「怖かったです」

これは、ほんとうの話reenex膠原自生中心おそらく隣人は出てきてくれないだろうし、言葉も通じない。
これを書いていて思ったが、初日に「よろしく」と、挨拶に行っておいたほうが良さそうだ。

日本語サービス付きの海外旅行保険には入っているものの、病気や怪我の緊急サポート。
それ以外の、例えば、台風や、災害や、強盗やら、そんなことは、対応してくれるのか?
一度も電話したことがないので、その保険、通じるのかどうかもわからない。
今度、試しにシュミレーションとして、reenex膠原自生中心やってみておこう。

たとえば、ケータイが壊れたとしよう。
保険屋さんに電話もかけられない。いくら日本語が通じても、電話自体がつながらない。
iPadが壊れたとしよう。
誰とも、なんの連絡も取れない。
四方八方ふさがれた状態。
これは、今、思えば、非常に恐ろしいことである。


アパルトマンを紹介してくれた人が、フランス国内で使えるケータイを貸してくれた。
数回、知らない人からかかってきたが、わたしは持ち主でないことがわかってからは、かかってこなくなった。
わたしも、何度か、試しにかけてみたが、早口の、録音されたフランス語が、機械的に流れて切れる。

あとで、部屋を引き払うときに、ケータイを貸してくれた人に、つながらない状況を説明し、操作方法を聞いてみたら???
「あら。チャージできてないですね。お金が入ってない。通じないですね」
と涼しい顔。
わたしは、そのケータイを万が一のために、ずっと持ち歩いていたのに。
死んでいるケータイを頼りにしていたのか。
つながらないケータイを貸す人も貸す人だ。
日本人でも、フランスに長く住むと、フランス流になってしまうようだ。

ライフラインは、通信。
これが通じなくなったら、わたしは、どうしようもない。
部屋の外、屋外の街に出て行って、わめいて、おまわりさんにでも見つけられ、どこかに収容される?
それで、どうにか生命の維持ができる。

よくよく考えれば、
まわりは見知らぬ人ばかり、コトバも通じない、おそろしい日々を過ごしていたわけである。
なにかあっても、通信できなければ、
ほんの少しでも知っている人に、助けを求めようにも、まったくどうしようもない。

第三舞台

私は、1962年生まれです。
23歳の時、銀座calla脫毛
演劇雑誌で読んだ戯曲『リレイヤー』が、
あなた方との最初の出会いでした。

当時、地方のアマチュア劇団に入っていて、
創作にも生きることにも、もがいていた私にとって、
あなた方の存在が、どんなに希望になったか、測り知れません。


  ずっと長い間、太陽でい続けてくれて、ありがとう。


歳月は無常で、中三數學全てを変えていってしまうけれど、
人間が「心と心で握手できる」存在であることは、
きっと永久に変わらない。

最後の作品『深呼吸する惑星』で、
あなた方が、亡き岩谷真哉と共にいたこと――

鴻上尚史が、心の奥で、
尊敬する盟友?岩谷真哉と対話しながら、
演劇を作り続けて来たことが分かって、
涙が出ました。

ありがとう。
第三舞台が、美白產品風に書いた文字は、
人々の記憶の中で、消えずに輝き続けることを、
私は信じます。

気になる人

最近、<リスペクト>という言葉をよく聞きます。
私も、時々使うことがありますが、
最近、この言葉の意味することが、中六數學ようやく本当に、
わかってきたように思います。
今をときめくアートディレクター佐藤可士和さん。
「‥相手をリスペクトすることが必要です。
ビジネスを一緒にやるわけですから、
基本的に尊敬しあっていな關鍵詞研究いと、
言うことができない‥」
という言葉がありました。すごいな、と思います。
大袈裟なことではなく、日常の中で、
人は人とリスペクトしあうことが、
大事なのだと気づかされます。
これは、理想的な人間関係であって、
例え、お互いに意地を張り合うような場面でも、
又、難しい人間関係で起きる誤解や亀裂や難問も、
別の次元に置き換えて解決できそうな、
切り抜けられそうな希望に思えてきます。
「あなたに会えてよかった‥」
そんな気持ちを持てたら、きっとリスペクトしあうことが、
うまくいくように思えるのです。
一期一会、にも通じるのでしょうか‥。
一歩間違えれば、非情なことにもなりかねない困難な時代です。
自分を省みて、気持ちを整えたいと思うのです。
人の勇気で、感情の向こう側に立てるように、と思うのです。

珍客さま

ゆうべ遅くにキヨちゃんの姉から電話が入った。いつも通りの早口の鹿児島弁だ。すぐキヨちゃんに代わる。
 キヨちゃんが電話に出る。しばらく
 「ま~!ええ~!ほんま~?」
が続き、電話を切るとキヨちゃんは慌てて私に言った。
 「名古屋の○○ちゃん家族が明日来るって。一晩泊まるって。」
○○ちゃんとはキヨちゃんの甥っ子である。一番上の姉の子供。齢61歳。母親が鹿児島で独居生活をしているので、いずれは同居するつもりらしいのでまずはお嫁さんが母親と住むための帰郷である。
 名古屋を朝早くに出るというので、朝からキヨちゃんと買い物に。布団も干したかったが生憎の大雨。まあ、布団は夜出してから布団乾燥機にでもかけるか???ということになった。
 ごちそうもないので、キヨちゃんはお寿司でも作ろうかと、具材の下ごしらえだけして出掛けた。入院中の叔母を見舞って、大急ぎで買い物をして戻ると電話。美麗華領隊朝出ると言っていた一行は夕べ真夜中に出たらしく、そこまで来ているはずだ???との叔母からの電話だった。
 慌てて部屋干ししていた洗濯物を乾燥機に。寄り道したのか、道が分
痛症治療 からないのかなかなか着かない一行に、心配した叔母たちから繰り返し
 「着いたねえ?」
の電話。携帯電話番号を知らないと言うから、こちらから連絡出来るわけでもない。ひっきりなしに電話がかかると、一行からかかっても繋がらないのだけどなあ???と思うがつっこめない。
 そうこうするうちに、ようやく着いた。しかし、夕飯のつもりで準備していたので昼ご飯はない。とにかく何か出さなければとお茶やお饅頭を出しながら、お昼の段取りをキヨちゃんが思案していると
 「いやいや、長居はできない。今から鹿児島だから。」
と言う。へ~?泊まるのではなかったの?しかも真夜中に名古屋を出て四国に寄って、今から鹿児島?
 どうやら耳の遠いキヨちゃんシスターズの早とちり伝言ゲームだったようだ。誰一人泊まる話はしていないらしい。
 同級生に電話して近いルートを聞いた。
 「若いやつじゃないんやろう?フェリーがましやろう。てにゃわんぞ(手に負えない、大変)。鹿児島って、九州だけでも遠いし。」
とわざわざフェリーの時間まで調べてくれた。
 キヨちゃんはキヨちゃんで福岡の甥っ子に電話をしてルートを聞いた。結局運転に慣れているのと、ETCが安いのと、フェリーの空きや時間が不安なのとで、車でそのまま本州経由で帰ることになった。
 慌ただしく、父の墓参りもしてくれたが一体何時頃に着くのだろう。今夜は心配で着いたよの電話があるまで、キヨちゃんも落ち着かないだろう。
 しかし???。何だか疲れた。なんとも慌ただしい一日だった。

頑張

 昨日悲鳴を上げている膝と肩をメンテナンスしてから、病院へ行った。昼前に着いたが、ピンクの手足はとても冷たく血中酸素量が測れないほどだった。交代して前の晩から付いている孫娘と二人で、手足をマッサージする。足は時々嫌がるように動かした。そのかすかな動きが嬉しい。
 途中看護師に吸引してもらい、それでも血中酸素が少なめなので酸素を4リットルにあげてもらった。マッサージをするうちに、手も足も温かくなってきた。
 「まあ姉ちゃん、もうすぐ来るよ。」
三連休の高速は恐ろしい渋滞で、車はほとんど動かない。吧椅9時に梅田を出たバスが11時半にまだ淡路島にいた。
 不思議なことにおばちゃんが近づくにつれて、バイタルは安定していった。呼吸も楽になる。結局おばちゃんたちが着いたのは、14時半をまわっていた。声掛けに反応はなかったが、きっと聞こえているだろう。
 夕方また血中酸素が計れなくなった。ゴロ音もない。私が自分の指に挟んでみても深呼吸をするまで数値が出にくかった。看護師に計器の故障ではないかと聞いてみた。看護師が自分の指に挟む。数値はすぐに出た。
 「故障じゃないですね。大勢さんでいるので、健康な方が患者さんの酸素をすってしまっている可能性も???。」
 急いで、付き添いを分けてデイルームに移った。個室であれば私でも気が付く。しかし大部屋で戸も全開なのでそれほど影響はないかとも思ったが、少しでも可能性があるなら控えたほうがいいだろう。携帯用のパルスオキシメーターで測ってくれたがかなり低い。一旦下げていた酸素量を戻したが変わらない。
 吸引。全くゴロ音もなかったが、奥でかなり粘りのある痰があったようだ。吸引の苦しさで一瞬目が開いたが、しばらくすると酸素量も増え楽そうになった。
 回診時主治医は
 「状態が安定したら経管栄養をはじめましょう」
と前向きなことを言ってくれた。
 しかし、夜ひ孫から電話。
 「母ちゃんから電話があったけど、会わせたい人がおったら呼べって、危篤なのか違うのか、300が500になったとか、さっぱり分からん。様子を見に行くけん。」
姉ちゃんはうろたえて、上手く伝えられなかったようだ。次の連絡があるまで心配で眠れない。ホテルに戻った大阪のメンバーに電話し、様子を見に行ってもらった。
 結局、今どうとかいうことではないが状態は悪いので、高齢で老衰でもありいつどうなるか分からず、会わせてあげておいて???と夜の回診時、医師が言ったことで慌てたらしい。
 今日はキヨちゃんが会いに行った。状態は変わらない。私は一日夢中で仕事した。今日のことは今日済ませておく。出来れば明日のこともしておきたい。いつ呼ばれるかもしれない。願景村人生課程約束を書いた会社のボードを見ながら、クリアできるか不安になった。
 明日も頑張る。あさっては顔を見にいけるから、頑張ればあやん。

わたしは幸せである

それは、不幸である原因がないからだ。

しかし、人間は強欲だ、欲張りだ。
現状で満足することを知らない。
自分の欲のせいで、自分の幸せを壊す。

例えば、スポーツが得意だとする。
県大会決勝戦に残り、全国大会へと進み、紐崔萊產品オリンピックをも目指す。
しかし、選ばれない。
これは、苦悩のもと。
飛びぬけた長所を持っているのに、その長所が不幸、挫折のもととなる。
こんなことなら、たんなる趣味にして遊んでいればよかった。
(あくまでも、例えです)


熱を入れる度合い、さじ加減が大事だ。
さじ加減ひとつで、幸せになったり、Loop HK不幸になったりする。

ないものねだりをして、不幸になる人もいる。

人と比べたり、嫉んだりする。
愚かである。
たいしたことない、あの人が、なぜ、わたしより評価されるのか?
わたしは、なぜ、評価が低いのか。
結果として、跳ね返ってくるものがないのか。
腑に落ちない。
(ブログのことでは、ありません。口服益生菌リアル社会での行動のことです。誤解がないよう、補足)

ぷすぷすと不平、不満、不満足の燃えカスが消えることなく、まだ燃えている。
自分が生み出した、自分の身から出た欲から発生した「不幸」である。


欲もほどほどに。
自滅していたら意味がない。

今まで、どんな人を見ても、なにを見ても、べつにわたしは、どおってことなかった。
身を焦がすほど羨ましいと思ったこともなかったし、こころは、穏やかだった。
自分は、満たされていて、満足だった。

呼ばれる

名画座と呼ばれる、小さな映画館がかつてはたくさんありました。
 古い映画や、ロードショー落ちしたものを、何本も上映する、そんな映画館です。
 今のシネコンなどは、何日も前から計画を立て、前売り券を買って、などと、ややかしこまった雰囲気がありますが、名画座は、上映途中だろうが、時間を気にせず、気楽に入ることができました。
 散歩の途中、「あ、今日は『風と共に去りぬ』か。久しぶりに、ちょっと観ていこうかな」などと、飛び込みで入ることもしばしば。
 料金の安さも、躊躇させない理由の1つでした。

 友人とおしゃべりに夢中になって、気がついたらもう終電も終わっていた、如新nuskin產品そんなときも、暇つぶしを兼ねて、名画座に行ったものです。
 もともと観たいと思って入った映画ではないので、必ずしも真剣には見入りません。
 途中、休憩に立ったり、そのまま居眠りをしてしまったり、自由気ままでした。

 その晩は、マニアックな映画の特集をやっていました。4本か5本、立て続けに流すのです。朝まで上映する、オールナイトでした。
 たまたまやっていたのは「ロッキー?ホラー?ショー」。タイトルだけは聞いていましたが、まだ観たことはありません。一部の人達の間では評価の高い、いわゆるカルト?ムービーでした。
 ちょうどいい、じっくり見てやろうと、如新nuskin產品わたしはスクリーンに向かい合います。

 タイトルが出て、「サイエンス?フィクション/2本立て」という曲が始まるやいなや、観客席から拍手がわき起こり、中にはクラッカーを飛ばす者までいました。
 それまで、映画というのは静かに鑑賞するものとばかり思っていましたから、これにはびっくり。とにかく、すごいノリなのです。

 いつしか、わたしも映画の世界にのめり込み、一緒になって手を叩いたり、大笑いしていました。こんな一体感のある映画など、初めてです。
 しかも、深夜過ぎという非日常のためか、気持ちもハイになっていて、残りの映画も面白おかしく、すっかり観てしまいました。
「オールナイトって、妙にうきうきするよね」映画が終わって、如新nuskin產品ロビーでコーヒーを飲みながら、わたしは友達にそう言いました。
「そうだな、ふらっと入ってみたが、今晩は大当たりだったよ」友達もそう答えるのでした。



 始発電車を待っている間も、まだ興奮が収まらず、また近いうちに、オールナイトを見に行こう、と約束しあったものです。
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