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その人のところから、次第に離れてゆくきっかけの1つだったかもしれない。
と、いま思い返すとそう感じる。
昔、師匠のような存在でお世話になっていた人がいた。
(といっても、セミナーを開催している人で、私も結構な金額を
彼に支払っていたので純粋に師匠と言えるかどうか、わからないが)
その人は、私を含む「弟子」を前にして、なぞなぞのようなことを
よくやっていた。
「~というビジネス書が凄かったんですよ。ここで、
マーケティングにおいて一番大事なことって何て言ってたと思います?」
と、いう具合。
私たちは当然そのビジネス書その他の中身をまだ知らないので
考え考えして、答えるのだけど、(もちろん)はずれる。
そのたびごとに、師匠は嬉しそうな顔をして「ちがうんですよ」「ちがうんですよ」
と繰り返し、それを何度かやった後に、答えを言う。
それを聴いた私たちが「へー!」と驚き、師匠は満足する、という流れ。
どうしてこういうことを彼がよくやっていたのか、その動機は
本人じゃないのでわからない。けれど、どちらかというと、何か新しいことを
私たちに教えてあげようという目的よりも、「知っている自分」
「知らない我々」というステージを作り上げて、立場の違いをつくりだすために
そうしてるんじゃないか?とだんだん感じ始めた。
そもそも、自分はその本を見てすでに解答を知っているという、
それだけのことにすぎない。しかもその本の内容を、彼自身が考えたわけではない。
今から思えば、おかしな話であることに気づくのだけど、当時は素直だったので、
「やっぱりわからない自分はダメだ」「この人はいろんなことを知っていてスゴい」と、
最初のうちは思っていた。(まさに目的達成というところか)
しかし、何度も同じことをされていると、誰だってなんだかおかしいなと
感じるものである。あまりに繰り返される、そんな後出しじゃんけんのような
なぞなぞにウンザリするようになってきた。
「そりゃ、あなたはもうその本見てるんだから答えを知ってるでしょうよ!
なぜそれをサッとシェアしないの?単に、相手を揺さぶるような道具として使うのか?」
そう感じるようになったころから、だんだん距離を置くようになった。
(今から思えば、実は非常に承認欲求が強い人だったのだろう)
この人の場合はちょっと度が過ぎたとはいえ、でも、我々も似たようなことを
時々日常でやっているかもしれない。たまたま自分が知っていることを使って、
自分だけ知っている答えでなぞなぞをするようなマネ。そしてそれでもって、
相手に対する優位性を得ようとしてしまう、というふるまいを、だ。
片方が答えを知っているなぞなぞは、無邪気な子供の時だから可愛らしいのだ。
何かを知ることは、何か別の目的のためのプロセスに過ぎない。
たまたま珍しいことを知ったからといって、
それを使って他人をコントロールしたり、不愉快にしたりしないように
自戒したいものだと思う。 そしてもし、あなたが、
こういう風に「自分が答えを知ってるだけのなぞなぞ」を
やたら披露してくる人に出会ったら、ちょっと気を付けた方がいいかもしれない。